こんにちは。今日は読書感想文、ではなく、読書以外感想文です。主に映像作品についての感想になりますが、ネタバレを含みます。そういうのが苦手な人は先に作品を楽しんでからのほうが良いかもしれません。ではいきましょう。
小さいおうち(映画)
少し前にテレビでやっていたもので。この映画はただつらつら見ていたのでは意味が分からない、というか、というか、何がいいのかわからないと思います。せいぜい古き良き時代が~、って感じかな、と。
少し注意深く見た人は、主を思ったメイドさんが手紙を実は渡さなかった、これが秘密だ、と感じたかもしれません。ただ、どこが秘密なんだ?簡単すぎやしないか?とあえて深読みしてみると、かなり大胆な仮説にたどり着きます。そんなお話。
タキちゃんと板倉はデキていた。
1周目が終わるとき、タキばあちゃんはなぜ泣いたのか、まったくもって意味が分からなかったことから始まった仮説なのですが、その仮説とは映画全般を通して時子と板倉が持っていた関係を、まったく同じくタキちゃんと板倉も持っていた、というものです。
まったく同じようなことをしていたのだから、描写する必要はないですね。想像だけとなりますが容量2倍。それに、2人がデキていたとしたほうが、最後のほうで板倉がタキちゃんを抱きしめる場面もより自然な感じになります。
割とトドメなのは、坊ちゃん(だったじいちゃん)が、「二人はお似合いだと思っていた」というようなことを言っていますが、劇中ではそんな感じの描写はほぼ見受けられない。
というか、そもそも時子と板倉ならわかるんですが、なぜタキちゃん?って思いませんでした?つまり描写がなかっただけで、タキちゃんと板倉は坊ちゃんの前でかなり仲良くしてたってことです。
更に2周目で注意して見てみると、タキばあちゃんの部屋には板倉が描いたと思われるおうちの絵が飾ってあることに気が付きます。あの絵(の展覧会バージョン)は戦後に描かれたということが学芸員さんから語られていますが、同じような絵は同時期に描かれることが多いことから考えると、戦後もタキちゃんと板倉は会っていたと言えると思います。
余談ですが、展覧会バージョンでは玄関に人がいるのに、タキばあちゃんちバージョンだと誰もいなくなってるのですが、これについては分からなかったです。多分意味はあると思います。
話を戻して、更にさらに二人とも生涯独身。もうね、事実婚でしょ。これでいいでしょ。という僕の見立てで冒頭の疑問であるタキばあちゃんはなぜ泣いたのかが分かります。タキばあちゃんは確かに長く生き過ぎた。というか、みんな死んでしまって自分が最後まで取り残された。え?戦争でみんなバラバラになったじゃないの?
タイムラグ長すぎない?思い出して下さい。確かに時子は死んでしまっていますが、板倉は生きていたでしょ。タキちゃんと板倉には戦後があって、二人は時を過ごして。その板倉もとうとう死んでしまった。・・・と。こういうわけです。
そりゃ泣きたくもなるわ、と納得したものです。はずしてたらごめんなさいですが、僕のちいさいお家の事件はこうして終わったのでした。よかったら見てみてください。
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