こんにちは。きつ過ぎた年度末が終わり、すっかり春ですが、今年の春は何とも穏やかじゃないです。っていうか、もうゴールデンウィークじゃん。落ち着きたい。心底落ち着きたい。そんなわけで行ってみましょう。今日のネタはこちら。僕は特に傾倒している宗教はないのですが、最近読む自己啓発本でうんうん、と思うのが結構宗教系の本で(特に仏教)、そりゃハマる人はハマるし、そういう人から金を巻き上げるビジネスも成り立つわけだわ、としみじみ思いました。ま、でもここでは軽ーく感想文、でご紹介していきますので警戒することはないと思いますよ。
この手の本は確かに宗教か心理かオカルトかの人が書くから30%ちょいは宗教系になりますか、単純に。
そういうことになりますわね。でも傷ついた心には染みるのよ、優しいのよ。痒い所に手が届くというか、「そう、それそれ」って感じで。上手に励ましてくれるんですよね。神様すげー。学問すげー。スピリチュアルすげー。ありがとう、って思います。
小さいころに転んで泣いているところに手を差し伸べてくれた感じ。だまされる人がいても仕方ないわー。いや、他人から見たらだまされているようで、仮にそうだとしても、本人には救いであるってことかもしれない。だまされているような気がしても、他の人より自分のことをかまってくれると案外弱いかもしれない。この状態にならないよう、近しい人は常日頃から仲良くしておきましょうってことかもしれませんね。
でも仏教は意外と厳しい。
以前書いたことがあると思うのですが、仏教というのは凄く平たく言うと『お悩み相談』な宗教なんだそうです。あんなことに困っている、こんなことに困っている、というみなさんのお困りごとにお釈迦様が答えをくれる。っていうか、くれてる。それを学んで行くのかな?って感じらしい。
本作もそんな感じで進んで行きます。うんうん、そうそう、って納得しながら読んでしまった。だからこそなんですが、物足りないのよね。もう少し突っ込んで読んでみたい、と思ってしまう。全く商売上手な本だわ。でも、肩の荷が下りたというか、気持ちが軽くなったのは事実です。結構励まされるし、今まで読んできたこの手の本の中でもトップクラスのやさしさです。
でもねでもね、仏教って、もう少し突っ込んで調べてみると実は結構厳しいのです。滝行だの荒行だのっていうのは一部の宗派で、そういう意味の厳しいじゃなくて、優しいことの裏返しが厳しいってことになるんですが。
例えば、本作では『原因がはっきりすると悩みは解消する』として、その説明をしてくれているんですが、確かにその通りだ!って、そんな簡単なことになんで気が付かなかったんだ!って感動するとしますよ。でもさ、実生活に応用した場合、どこまで原因追及していくんだとか、それを解消することが出来ない(やっちゃいけない)こともあるじゃん、って話ですよ。きちんと修行すればそこらへんもクリアできるようになるんでしょうけど、軽くつまむ人にはつまりそこまでなんです。
どうしても解決したいなら、解決するまで進みなさい、ここで終わりにするなら、悩みもその程度なんだから悩みもここで終わりにしなさい、って感じがあって・・・って、これ、信者でも何でもない、何も知らない人間の読書感想文ですからね、関係者の方は熱くならないでね。
とにかく甘やかしてくれるわけではないってことです。
ただ、この本においてこれだけは言っておきたい。
本作中でとある孤独を感じる部長さんの話が出てきます。聞けばずっと一人で頑張ってきたことは分かるんだけど、他の人が出てこない。そこで作者さんは部長さんに、誰かに感謝してもらえたとか他の誰かを喜ばせたことはなかったのかという旨の質問をしたところ、そうだよね、と寂しく返されたという。で、本作はこれを『自分の事しか考えないでいると孤独になる』という流れに持っていくのですが、これにはちょっと言いたい。
部長さんがそうだよね、といった真意は分かりません。作者さんの言う通りかもしれない。でも、僕もこういう生き方をしてきた時があって、その時はただね、自分の事しか考えないというのは全く逆だったぞ。むしろ言い切るなら相手のためになりさえすれば、と、自分のことなど考えなかった、と、かっこよく言いたい。
こう言えば「そういう重いの、相手が望んでたと思うのか?それが自己中心的なんだ」と言い返されることでしょう。そうかもしれません。でも、それくらい相手のために頑張ったり知恵を絞ったりしたんです。相手に「どうして欲しい?」って聞いて、それを実行するのも仕事でしょうが、答えを見越して動くことだってまた仕事ではないでしょうか?いけないの?
バリバリ仕事こなして、困ったときの奥の手的な存在になったら、それが当たり前となって特に感謝されなくなりますが、それも部長さん側が自己中心的だと言われるものなんでしょうか。これ、例えが難しいんですが、ウルトラマン『の』スペシウム光線。毎回出て当然のこの必殺技を毎回毎回「出て良かったー」とは思わないでしょ、多分。フィギュアスケートや体操の技なんかもそうです。最難関の技がクリアされていくたびにそれまでの最難関は当然になっていく。できて当たり前になっていく。
仏教的には、というか本作中でも、そういうのにも感謝の心を忘れるな、という旨は書かれていますが、それは自分の話であって、相手に求めるものではない。で今度は本作を読むに、それに疑問を感じるなら居場所を変えるべきだとか、忍耐だとかってなってくる感じがするんですが、では、ここで問題を最初に戻します。部長さんは自己中心的だったんでしょうか。
不器用な思いやりはいけない事で、それを正すために修行するとしたって、そもそもそういう不器用な人っていちゃいけないんでしょうか。どうしても居場所を変えられない場合は絶対的な信頼を得られるまで研鑽を積むのはやめて、感謝を感じてもらえる程度に未完成でいる方が正しい在り方なのでしょうか。
この部長さん、僕は作者さんとはおそらく違う目で見ていますが、僕が間違っているなんて思わないし、一人で突っ走ったのだって部長さんなりの優しさだったと思います。強いて言うなら「てめえの物差しで語るんじゃねえ」(るろうに剣心より)ってことですかね。報・連・相の相が特に苦手な人だったんでしょう。
おそらくですが、「彼らにこのプロジェクトはあまりにもきつい。だったら自分が代わりにやってあげよう」でそれを一人でやってのけてしまうような仕事の仕方をしてきた部長さんだったんですよ。次元が違うので居場所を変えろって言ってもすでに名だたる企業にいるわけで転職先も限られてしまうでしょうし。独立は勤めとは違うし文字通り一人になることだし。ってことだったとしたらこれをもって自己中とは、仏教き、厳しい。あ、くれぐれも、素人の読書感想文ですから。でもね、こういう人だって救われたいのよ、たぶん。僕らから見れば何でもできそうなんだけどね。
まとめ
昔を思い出して毒吐いたものの、僕自身この本にかなり励まされました。泣きます、というか、ありがたみを感じます。仏教はお悩み相談、っていうのも納得です、本当に。
過去に何冊もこの手の励まし系の本を読んできましたが、この本はおすすめできると思います。もっと読みたいと思ってしまう、それこそ必殺技みたいにバシッと刺さる本でした。
それにしても仏教と言っても色々宗派があるんですが、偶然か運命か、これまた浄土真宗のようなんです、親鸞、歎異抄の。ちょっと不思議。結構接点あるんですね。
まとめブロックなのに新たなものを投入しますが、本作では『運命は決まっている』ってすることが不幸を呼ぶ、としていますが、僕はこれまた逆に考えてます。『そう考える事も運命で決まっている』。だから、で仏教と合流する?んですが『あれこれ考えずに今を全力で生きろ』。僕の場合は明日も明後日もあるからそこまで全力とは思いませんがまあ、やれることはやってみよう、くらいかな?
そういえばこの頃は『全力』が全力じゃなくなったな。大まかには全力だけどアクセルベタ踏みではない気がする。安全運転も悪くはないはずです、ね。安全運転に全力、ってことで。
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