こんにちは。しばらく更新していませんでしたね。実は体調を崩して仕事を辞めることになりました。いや、この映画で声をあげようっていうのが一つ印象深かったので恥ずかしいながらもカミングアウトなんですが。がんばってきたんだけどな。体がとうとう悲鳴を上げた。しばらくゆっくりしながらも求職活動の予定です。辛くても生きていかねばなりません。
生きたくても生きられなかった人に申し訳ない、っていうのは元気な時は確かにそうでしょうけど、心身、特に心が参ってるときはとても辛い言葉です。そういう人がいたら。大丈夫だよ。今はゆっくり休んでなんとかかんとか元気になることを優先しましょう。申し訳ない分は今は他の人ががんばってくれてるから心配しないで良いですよ。あなたが元気になってから、がんばったら良いんです。今はがんばっちゃだめ。がんばらないことをがんばる、くらいでダラダラリラックスしてください。
さて、そんな中映画を観ている時間が出来たので、って、リラックスのつもりで見たら重い話でした。参ってる人は見ちゃダメなやつだった。震災を思い出しました。宮城にいたわけではありませんが、やっぱり悲惨だったんだと思いました。津波怖い。でも書いちゃう。無責任にって言うと読んでくれてる人に悪いのですが、いわゆる『やりたいこと』『趣味』『遊び』等、生産性を気にしない『仕事』の逆の作業は気持ちはリラックスできるものです。では行きましょう。
トリックが、とかが魅力ではない。
これ、原作が中山七里さんなんですね。知らなかったんですが、僕、この作家さんの作品結構読んでると思います。相性がいいというのか、好きな作家さんなんだと思います。「なんだと思う」っていうのは、大ファンです!みたいに読んでるわけではないので。ただ、本屋さんとかで手に取るのはこの人のが少なくないです。ミステリーなんだけど、バックボーンというか、登場人物のエピソードの感じが好きです。あと、手に取るって意味ではタイトルが刺さってるのかな?
というわけで、犯人が誰、っていうのはこの人の場合特徴があると思います。本作も見てるうちにはいキター、ってなったのでもしやと思ったらまさかの中山さんの作品だったと。
そうだよね、やっちゃうよねぇ、なんて変に共感してしまうのがこの人の作品の魅力の一つではないでしょうか。そういうのばかりではないんですが、読んでいる自分の立ち位置が犯人よりになっていることが多い、というか。
今回のは東日本大震災が出てくるので注意です。
今でも分かってると何となく目を背けてしまう東日本大震災。僕も宮城ほどでないにせよ、大変でしたから。あの頃何が起こっていたのか、今でも自分の周りの事くらいしか知らないです、整理できてない。福島の原発が~っていうのは知ってますよ、もちろん。でも地震と津波については知らないのです。他にも似たような方いらっしゃったら、もう少し時間をおいてから見た方が良いかもしれません。もろにそういうシーンが出てくるわけではありませんが、その後大変だった事はばっちり思い出しちゃう出来だと言えます。
生活保護が、っていうのが一つのテーマでそちらの制度的なものに興味が向けばサラーっと観ることが出来るでしょうけど、震災に目を向けるとなかなかしんどい。
生活保護って本当にいろいろ大変みたいです。
大変、とは聞いているし、不正受給の話も聞くのですが、その一端を良く解説してくれていると思います。僕は一応まだ大丈夫ですが、明日は我が身かも、と少し心配になりました。
不正受給については、車の話とかバイトの話とかよく聞くのですが、役所の人も怖いでしょうね、そういう『不埒な』人たちを説得しに行くのは。仕事で体を壊した身としては同情もします。結局作中では役所の人が恨みを買い犠牲になりますが、こういう仕事って辛いですよね。瑛太さんの役の人の『全員は救えない』っていうのもわかる気はします。で、だとしても恨みを買ってしまう、というのもまたこういう人にとっては仕事とせざるを得ない部分だと思うし、それが辛いところ。上司の人とかは就職するにあたり「命までは取られないから~」なんて励ましてくれますが、作品とはいえ、いやいや命のやり取りばっちりあるから。でもね、あんまりここ掘ると僕も調子崩すと思うのでこの辺にしておきましょう。役所の仕事もきっと大変なんでしょうね、ってことで。民間はもちろん大変です。
制度を知りながら受給しないっていうのもなかなかどうして奥が深いんですね。思い知らされました。恥という意味で掘り返したくないことがあるから、というのは聞いたことがありましたが、本作のおばあちゃんみたいに、思いやりに基づいて掘り返したくないっていうのも聞けば納得です。こういう、良い人こそ助けてあげたいのに本当に難しい制度なんですね。残念です。
ラストのその後が気になって仕方ない。
まあ、黄色のジャケットは印象的だったのでどこかでドカンと来るとは思っていましたが、最後の最後に特大の爆弾として登場してきました。
どうする?どうするよ?阿部寛さんの刑事さん。
そりゃ、かんちゃんも着てたし、息子以外にも着てる子はたくさんいただろうし、黄色のジャケット着て残念ながら犠牲になってしまった子も複数いたでしょう。
でも、佐藤健さんの役の人が助けられず見殺しにしてしまった話が出て、また時計が意味ありげに鳴って、「ありがとう、助けようとしてくれて」って、もはや確信したセリフが出てきて、どうですか?ラストは佐藤健さんのワンショットで終わりますが、この時阿部さんの方はどういう表情をしていたのでしょうか。
少し前のシーンで殺されてしまった役所の2人の目が映るシーンがあるんですが、これ、布石のような気がしてなりません。
目の前に、我が子を見殺しにした人がいる。というか、目の前の人に「あなたの息子さんを見殺しにしてしまったのがずっと気になっている」と突然言われて、合図のように時計が鳴ったらどう思いますか?
息子「そう、そういうこと。で、死んでしまったのです」
という報告だと思いますか?僕はこれ、
息子「そう、そういうこと。で、殺されてしまったのです」
という、何かをしてください的なメッセージだと受け止めたんじゃないかと思ってしまうんです。で、だ。次が気になって仕方ないのです。
阿部さん刑事は『多分それ、おれの息子』とそもそも言うのか、そして敵討ち的に手を下してしまうのか?気になります。みなさんはどうですか?今更原作読もうかな?
終わりに。
今はまず僕自身を立て直しましょう。そういう意味では苦しんでもがいている人の話はある程度までは励みになります。それ以上になると心が沈んでしまいますが。この映画はその意味でたぶんギリギリです。耐えられる人と耐えられない人が半々くらいになる気がします。
正直なところ、健康な方にご覧いただきたい。震災経験者とか、弱ってる人は今は観なくていいと思います。元気になったら観てください。
いろいろ考える映画でした。今回のは特に僕にはタイムリーだった。拾ったのは『辛いときは声をあげよう』ってことですね。ではまた。
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