はい、こんにちは。これよ。かなり話題になった作品で、だからというわけではないのですがなぜかとても見たかった作品。少しスピリチュアルな要素も含みますが、多分呼ばれていたんでしょうね。これ、結構語れる気がします。そりゃ何度も映画館に通った人、作品関係者には負けてしまうと思いますが、かなり見切った感じがあるのでね。早速行ってみましょう。
ちょっと偉そうに解説風に行きますが許してね。
この作品、入りが多分はまったからその後もがっつり行けたと思うのでまずそこからお話します。これから見る人がいたら参考にしてください。
この作品はまあ、ライバルの2人が切磋琢磨していく話です、ものすごく平たく言うと。なので、タイトルである『国宝』は、まあどちらがなるのでしょうか?あるいは両方なるのでしょうか?というのをずっと頭の中に置いて鑑賞しましょう。
才能のある弟子とそれにやや劣る世襲と。
ありがちな設定ですね。ライバル関係はやくざの息子で才能のある主人公きくちゃん。そして世襲息子で才能的に一歩譲るしゅんぼう、という2人です。
昔はやくざ、いわゆる暴力団と芸能界、結構あからさまにつながっていたんですね。今でもつながりはないわけではないようで、たまにニュースになっているようですが。とあるやくざの新年会で大人気歌舞伎役者半次郎が芸を披露するきくちゃんを見初めます。そこに他の組が殴り込みにきてきくちゃんの父親である組長は殺されてしまいます。この時雪が降っていたのですが、このせいなのかなんなのか、きくちゃんは劇中ずっとこの雪のようなキラキラを追い続けることになるのでした。
きくちゃんは友達と敵討ちを試みるも失敗。おそらく少年院に入り、出所後に半次郎に引き取られ歌舞伎の道を歩み始めるのでした。そして切磋琢磨が始まるのです。そういえばこのお友達、まったく出てきません。敵討ちの際に散ったのかもしれませんね。
ライバルのボンボン、しゅんぼうは結構いい人。きくちゃんもそこまで真面目ではない。
第一印象こそ、立場を利用してきくちゃんをいじめでもするんだろうかと思わせるしゅんぼうはこのイメージを裏切り結構いい人です。真面目に稽古に励む(ように見えました)きくちゃんに対して、やや余裕をかまし遊んでいる感じのあるしゅんぼうですが、それでも歌舞伎に対してはちゃんと向き合っていて、レベルもそれなりに高かったんだと思われます。彼なりに早い段階からきくちゃんの才能に気づき、マウントをとりたがるというか、自分が上なんだというのを確定させたい焦りのようなものが見受けられますが、僕の印象ではそこまで嫌な人間ではないという印象。
で、一方のきくちゃんはというと、基本的にまじめ。でもこれは業界の(個人的な感想ですが)悪しき習慣『遊びも芸の内』をしっかりやってるんですね。仕方ないといえば仕方ないし、しゅんぼうに比べればはるかに控えめではありますが、ストイック、ではありません。しっかり良くない遊びをしています。ここで一人、人を見る目があるという芸子さんに目を付けられ、関係を求められ、その後ばっちりズルズルいきます。そしてみなさんのイメージ通り?切り捨てます。不徳をいたしておりますね。
そんなこんなで、まったく対照的というわけではなく、真面目不真面目の度合いが7:3を逆転させて持ち合わせたような二人ですが、かなり仲良くいい感じの切磋琢磨をしていきます。二人でやった演目は大成功し、時の人への道を歩み始めるのでした。
後継者問題。
半次郎があるとき交通事故にあい、舞台に出られなくなります。そこで代役を立てることになり、奥さんをはじめ近しい人皆しゅんぼうがやるものだと思っていたところ、物語ですからね、きくちゃんに白羽の矢が立ちます。はい、波風立てるのが物語ですが、僕が一般人目線で見ててもこれは半次郎の失敗であったし、とるべき選択ではなかったと思います。
芸能の世界なら仕方ないとされるのかもしれませんが、言うほどの差は2人にはなかったように思います。そのわずかな差をもってきくちゃんを選んでしまったが故にその後のみなさんは苦難の道を歩み始めるのでした。おかみさんの意見の方がここでは正しかったと思います。レベルの差が段違いなら半次郎判断にも賛同できますが、これくらいなら・・・と思いました。
一応わずか5日で厳しい稽古をつけられ、きくちゃんは見事に代役を演じ切ります。そして、これをもってレベル差を感じ取ったしゅんぼうは家を離れるのでした。
演目が始まる直前まで、きくちゃんの応援に回っていたんですよ。相当腹に来るものがあったはずなのに。この時点では役者の才能こそきくちゃんの方が上でしたが、人間の成熟度としてはあきらかにしゅんぼうの方が上でした。
ところでこの段階までは不徳をいたしつつも絶対的にきくちゃんの味方をしてくれていたはるちゃんという幼馴染(半ばいいなづけ。高畑充希さん。)がいるのですが、この場面の少し前できくちゃんのプロポーズを断ります。きくちゃんのステップアップの邪魔をしたくない、という彼女なりの思いやりからでした。そんな彼女はそもそも当然しゅんぼうとも仲は良かったのですが、代役を見事に演じ切ったきくちゃんに対して負けを感じ涙し去っていくしゅんぼうについていってしまうのでした。
これについては、女心というか・・・それまでのちょっと余裕をかましてチャラチャラしつつも良きライバルとなっていたしゅんぼうが、きくちゃんとの距離を感じ取り、自分に失望する姿を見て今度はこっちを支えてあげたくなったとか、自分もきくちゃんとの距離を感じる中で似たものを得たみたいな感覚になったのか、あり得る流れではあります。展開としてもべたではあります。少し嫌味な言い方をすると、彼女のように、明らかに弱いものに手を差し伸べることによって自分の存在意義を再確認するのが好きな人もいます。そんなことしなくても十分大事な人なんですけどね。彼女自身も弱っているから、手を差し伸べずにはいられなかったのでしょう。人を救うことで自分も救われたい、みたいな。
栄光と不徳の切り捨て。
しゅんぼうがいなくなってしまったため実質的に跡取りの立場に繰り上がったきくちゃん。半次郎は自分の限界が見えてきて最後にもう一花咲かせたいと自分が先代の名前を襲名するのとあわせ、自分の名前をきくちゃんに襲名させることにします。ここでもおかみさんが反対するのですが、強行。何でしょうね。芸はうまくても世渡りは下手というか、職人は世間が見えてないというか。この段階ならま、仕方ないかなとも思いますが、なにも一緒にやらなきゃいいじゃないかと思う歌舞伎初心者な僕でした。
この雲行きが怪しいながらのいけいけムードのなか、きくちゃんは不徳をいたしていた例の芸子さんとの間にできていた私生児の娘を、芸子さんごと無視し、なかったことのようにするのでした。これは良くないよね。こうせざるを得ない世界なんでしょうけど、だったら最初から遊んではいけません、人として。ただね、芸子さんの方にも落ち度はあって、最初に言い寄るとき「2号さんでも3号さんでもいい」みたいなことを言うんですよ。これも良くない。まあ、彼女自身はある程度覚悟ができていたようなしぐさを見せますが、娘はかわいそうだよね。まだ未就学児よ、あの感じ。それがさ、ちょっと前まではたまに来てくれてたのにある日からぱったり来なくなったお父さん。お母さんから何となくは聞いていたけど、おそらく周りのお友達とそのお父さんとの関係は自分と自分のお父さんにはない。それがとうとうまったくなくなった。これはかわいそう。不徳をいたしてはいけません。
あと、あとあとの大事なキーワードになるんですが、子供に「悪魔と契約」とか言ってはいけません。これは宗教的なのであくまで僕個人の意見になるのですが、子供に話すなら最初は神様って言った方が良い。契約だかお願いだかは置いといて、子供ならたぶん神様と仲良しなんだ~って流れを作っておいた方が納得は得られやすいし、混乱せずに済みます。善悪の判断基準を作っている段階ですから、そっち側で人生を歩ませたいならまだしも、都合悪くなったら切り捨ててしまう、その後苦労することが半ば確定している娘なんだから、生きやすいように導いてあげなきゃ。せめて。
さて、悪魔と契約したらしいきくちゃんはこの後からものの見事に起承転結の転の段階に入っていきます。
半次郎の死としゅんぼうの帰還
野心的な襲名披露の席で半次郎もとい白虎がまさかの吐血。その後亡くなります。ある意味当然の流れになりますがしゅんぼう(とはるちゃん)が帰還します。きくちゃんは半次郎の借金を肩代わりするなど、名実ともに後継者の立場にいたはずなのですが、しゅんぼうは帰還に合わせて自分が後継者となります。この時点で2人に間でどうのこうのというのはなかったのですが、世間の風向きがしゅんぼうの方に変わるとそれまでのきくちゃんが一気に叩かれていきます。仕事も激減。これは正直かわいそう。
ここでのみ、僕は「血(血統)」を感じましたね。他の場面では半次郎も含め周りが血統の話をするものの、きくちゃんとしゅんぼうの中にはそれは些細な事でしかなかった。代役事件のときに少しだけ顔を見せはしますが。それがこの場面で一気に表面化します。しかも出自とか半次郎の決定とか、自分が制御しきれなかったことに対して責められるという。これはあまりにもかわいそうですよ。しゅんぼうはここでも割と味方をしてくれるのですがそれでもうまくは行かず、きくちゃんは先輩の娘(役名忘れたので森ちゃんとします。森七菜さん。)に手を出してコネを作ろうとして?失敗し、今度は自分が森ちゃんと一緒に出ていくのでした。
苦難の末の悟り。本作の見どころは実はここです。
この森ちゃんが良い子なのよ、実に。半ば利用されて付き合うことになったとわかっていながらもついて来てくれました。先に先代の借金を肩代わりして~って話はこのためか、と思ったんですが、過去にしゅんぼう、はるちゃんペアが辿ってきた流浪の貧乏生活今度はこの2人を送ります。旅先のテレビで見るのはしゅんぼうの輝かしい現在。見ている自分はかつての輝きは何だったのかと思うほどまったく注目されない存在。しゅんぼうたちは帰るところがあったけど、自分たちには無い。この違いを認識していたかどうかは伝わってこなかったものの、このときのきくちゃんの辛さがなぜか僕にはかなり刺さった。そしてそれをかいがいしく支えてくれる森ちゃん。こういう子は大切にしなさいねって、ここでもうるうる来てました。
そんなある日、とある仕事場できくちゃんは舞台後観客と揉め、ビルの屋上でやけ酒を飲んでふらふらと踊っているところに森ちゃんが来て「もうやめよう」と言われます。森ちゃんはその後「どこを見ているの?」と言ってその場を離れます。この後が大事なので先に森ちゃんのことを書いておくと、彼女、この後出てきません。これまでのきくちゃんとしゅんぼうの対応関係から考えるにきくちゃんと森ちゃんはくっつくべきなのになぜか出てこない。納得できないな~。もっともしゅんぼう側のはるちゃんも大した役割は果たさないのでそれでも成り立ちはするんでしょうけど、納得できない。
さて、ここからが僕的にこの映画の見どころ。きくちゃんは「そうだな、どこ見てたんだろ」とつぶやき、半ば気がふれたかのようにへらへらと踊ります。
でもね、これが実は悟りの瞬間です。このブログを読んでくれたみなさん、おめでとうございます。本当におめでとうございます。これ、多分貴重ですよ。僕の話が、じゃないですからね。たまに世の中には奇跡がおきますが、映像作品でそれを確認できることをお伝え出来たから。信じられない方は悟りを開いたと言っているお坊さんあたりに見てもらって確認してみるといいです。自信あります。悟りに至るってこんな場合もあるんですね。へらへらと適当に踊っている。でもここできくちゃんは悟りを得、昇華していくのでした。
さらにもうちょっとスピリチュアルな描写が続きます。この場面の後、きくちゃんは死期の迫った人間国宝の先輩おじいちゃんに呼ばれ、「私にはわかる」的な話をされ歌舞伎の世界にカムバック、しゅんぼうとともに昔やった演目をやるのでした。ともに競ったライバル同士、素晴らしい舞台でした。・・・が、ここでも大事なのは「私にはわかる」という、台詞。考えすぎかもしれませんがさすが人間国宝、こちらも悟りの境地に至っているんです。そして、悟り状態になると何というか、つながってるらしい。ガンダム知ってる人ならニュータイプが分かりあうあの感じです。そういえば、しゅんぼうも復帰の際にこのおじいちゃんに稽古つけてもらってたはずです。で、このおじいちゃん自身は人間『国宝』でしょ。映画では割と脇にいる役ですが、本来はもう少しクローズアップされる存在だったのかもしれませんね。
さらにさらに、この後できくちゃんがしゅんぼうの息子に稽古をつけるシーンで、しゅんぼうは義足になってまで舞台に立ちたいと、過去を受け入れ、その過去があったからこそ今の自分がある、という旨の発言をします。・・・が、これまた悟りに至った描写。こいつら、どんな高みまで来たんだ!っと、鳥肌物のシーンが続き、因縁の演目「曽根崎心中」へと移っていきます。
文字通りの「最後の花道」
しゅんぼうの多分ラストステージ「曽根崎心中」は壮絶なものになりました。死期を悟っているものが心中物をやるんですから、かつてきくちゃんが半次郎に「気持ちが入っていない」なんてご指導をいただいたような状態にはなりません。文字通り「必死」。観客も当然しゅんぼうの足のことは知っていますから途中で倒れるアクシデントも織り込み済みだったことでしょう。スポンサーさんが中止を求めたのに対し本人たちの希望での続行。これまたわかっているからそれ以上は止めない。演者から観客まで全員が同じゴールを目指した時間、って感じのものすごい熱量の舞台となりました。
こんな舞台あったら、いった人は人生変わっちゃうでしょうね。実に壮絶な舞台でした。でもあるのかな?演劇鑑賞にはまっている人がいるというのにもある程度理解を得ることができました。
ラスト。衝撃的な作者の主張?と不徳の後始末。
その後しゅんぼうは亡くなり、きくちゃんは人間国宝になりました。はい、最初に書いておきましたね。国宝になるのは誰か。答えはここでとりあえず出ます。でもね、この段階になったら大体わかるよね。しゅんぼうの足の件あたりで『国宝になるのはどちらか』についてはその意味を終えます。言い方を変えれば物語そのものはここでほぼその役割を終えた、とも言えます。
そしてここからもう一つの強烈な、非常に強烈な、まさかここまで引っ張っての作者の主張かいな?!という『国宝』のメッセージが出てきます。
人間国宝の記念インタビューみたいなシーンになります。ここは、インタビュアーの語りが幕間の補完をしつつ、という形で入っていくのですが、「いつもスポットライトを浴びてきた」なんて、ここまで本作を見てきた僕らとしては「メディアってこうも手のひら返すのな」ってしか思えません。なんて薄情な。自分らがきくちゃんをどれだけ追い込んだことか。しかし、きくちゃんもしゅんぼうが思ったような「そんな過去が今の自分を形作っている」を受け入れているのでしょう、昔しゅんぼうに「おもろない」と言われた無難な返しで流します。
で、最初の方で書いた景色の話をして、いよいよですよ。
ここで写真撮影の女性とのやり取りがあり、一気に血の気が引きました。なんとこの女性、不徳をいたしたあの私生児の娘だったんです。きくちゃんは分かっていて、というか聞かれて思い出して、さして驚いていないかのように話をするのですが、これがまた怖かったなぁ。彼女、このタイミングを狙っていたのか。だとしたらこの子、お父さんがここまで上り詰めると確信していたわけで。
話の内容をかいつまんでおくと、おまえ、人間国宝になっていい気なもんだけど、たくさんの人がその犠牲になってるんだぞ、わかってんのか、こら。という感じが一つ。でもその一方で、芸のレベルの高さには感動を覚えずにはいられない、という何とも複雑な気持ちです、と。そりゃそうだ。世間でどれだけ称賛されようと父親としては論外だったし。私とお母さん、あんたがいないせいで大変だったんだから!でもあのすさまじい演技力、あれ、うちのお父さんなんだと!という気持ちもあって、でも全然お父さんらしいことしてくれなくて、と。お母さんどうなっちゃったんだか知りませんが、覚えてますか?って聞いてたくらいだからあの切り捨てシーン以降、会ってないんでしょうね。生死はどちらの可能性もあるけど、もう死にそうだから最後に会ってほしいみたいな話にならなかったことから、もうどうでもいい段階ではあるんだと予想できます。
ちなみに僕は歌舞伎詳しくないので予想でしかないのですが、最後にやっている演目『鷺娘』というのにも意味はあると思います。
まとめ。
歌舞伎役者は、その中では必死にいてる世界で、演目を見る人を幸せにはしますが、周りの人間をかなり不幸にする罪な職業です、ということ。
森ちゃん、かわいそうね、ということ。でもここは正直納得いかないんだよなー。
そして何より『悟り』の瞬間を映像化しているところに大きな意義があると思います。
この映画を見た人がこの『悟り』を知ってか知らずか大ヒット。自分としても大ヒット。関係ないけど、リアルの世界で、不徳をいたしたあの歌舞伎役者さん、人間国宝になるのかな?歌舞伎界ってたまにテレビやってますけど、大変なのね。
つくりとしてはとても丁寧かつ構図もストーリー展開もわかりやすい、見やすい作品だと思います。また、当時は「ぜひ映画館で」と叫ばれていただけあって、環境が良ければよいほどその美しさが際立つ映像、音響だと思います。文句なしのおすすめです。まあ、終わってみればやくざ設定とか半次郎が「演技で仇とれ」というところとか、んん~?と思うところもありますが、何でもかんでも伏線回収というのもまた『遊び』がなくて味気ない気がして。こういう部分なら不徳もいいんじゃないかという許容範囲でしょうね。

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