読書感想文 幸せになる勇気:前作の補完、という位置づけになりますが。

読書感想文
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 こんにちは。人と待ち合わせをするの、スケジュール的に難しい時ありますよね。一回帰ってもう一度出るには時間が足りないし、かといって近くに時間をつぶせるスポットもないし。

 そんなとき、読書って結構いいものです。快適な居場所さえ確保できれば十分に有効に時間を使えます。僕も大好きです。スマホゲームもいいんですが、こう、何というか、周りの視線が気になるので、ゲームもいいんですが、気になって集中できないので。読書はその点、気にならないですね。図鑑とか漫画みたいにぱっと見で何を読んでるか分からないから安心できるっていうのがあるのかもしれません。・・・別に何読んでも何のゲームやっても、他人の評価なんか気にしなくていいんですけどね。僕は読書をするってだけです、はい。では行きましょう。今回はそんな待ち合わせの空き時間で読んだ本。我ながらすごいスピードで読めたと思います。こちら。以前『嫌われる勇気』をご紹介しましたが、その続編。そしてアドラー入門の『完結編』となる作品だそうです。行ってみましょう。

何が気になっていたのか。

 最大の収穫は何気にこちら。前作で作者が超訳しちゃったんじゃないの?という旨の感想を書きましたが、違和感に関する感想の総決算が出来たことですね。

 このシリーズなんですが、主人公の青年と哲人というおじさんとの対話形式を軸にアドラーを語っていく、というスタイルをとっているんです。おそらくはこのスタイルをとることでアドラーが議論を好んだ、という様子の再現を表現し、かつ、読者がのめり込むのを狙ったのではないかと思うんですが、これこそが僕が感じた違和感の正体でした。

 何がって、対話を通じて読者はおそらく主人公の青年に感情移入することになるのですが、これが何とも。「こんなこと考えないわ」って方にどんどん進んで怒りをぶちまけているのです、彼。感情に波をつけることで勢いが出るのは分かるし、すごいスピードで読めた理由の一つにもなっていると思うのですが、寄り添えないのよ。文字通り不本意です。

 それでもって、作者がアドラーを『こう解釈しています』って表現に使うもんだからもう、僕は置き去り。これが超訳疑惑の正体だったわけです。『私はアドラーをこう解釈しています』っていう、作者の読書感想文、というか研究発表の論文だったわけ。だから、対話が不自然なの。先に結論(しかも感想)があって、そこに持っていくためのロジックを対話に詰めるもんだから、対話形式が逆に読みにくい、というか・・・不自然なのよ。

 こんなならもしかしたら対話形式にしない方が良かったかも。設定上仕方がないのですが、このシリーズは対話が先に青年が不満だの質問だのを出し、それに対して哲人が答える、という形になっています。でもね、これ実際はおそらく逆。アドラーが議論が好きだった、って話でしたが、それを想像してもおそらく先攻はアドラーだったと思います。アドラーは伝えることを重視していたようですから、おそらくまずは自分から伝えて、それに対して打ち返してきたらラリーを続けるというスタイルで議論していたのではないかと考えました。そりゃ、まず受ける場合もあったとは思いますよ。でもアドラーの話を、少なくとも本シリーズから考えるならアドラーはまず自分が行くタイプだったと思います。

 本シリーズもそれが出来ればよかったんですけどね。設定上仕方なかったとはいえ、これこそがおそらくアドラーを誤解させるポイントでもあったと思うし、僕はかえってよそよそしく感じるきっかけになったと思うのです。

前作ありきです。

 内容についてはこれといったものはありません。でもこれについては前作のインパクトが強すぎるからだし、本作も前作の補足的な立ち位置なので、前作をある程度がっつり読んでいればその時ほど刺さる内容でもありません。

 これ、間違えないでくださいね。絶対前作を先に読んでください。こっち先だとおそらくわけが分からないまま、この切れ散らかす若者、なんなのよ?で終わってしまいます。

 

アドラーが受け入れられない理由

 本シリーズを読んでいて理解したポイントの一つがこれね。アドラーの話って、話に順序が必要なんです、おそらく。①こういう悩みがあって②それに対する答えを出してみて③反証実験みたいなことをして④結論を出す。と、こういう流れ全体を通してでないと主張が成立しない。しかもそれらが因果的につながる?順番通りでないといけないわけです。だから、聞く人が悩んでもいないのに悩んでるから始まるとか、そこまでの過程を聞かないで結論の段階から聞く、とかって事が、あったんじゃないかな、と。そしてそれじゃ、伝わらないんだわ、と。

 あと、アドラーは宗教だ、という人がいるそうですが、僕も似たような感想を持ちました。仏教の教えの本に似てるんですよ。本当ですよ。法話っていうのかな?お釈迦様がお弟子さんとこんな話をしました、っていうのが色々あるんですが、それとすごく似てます。なんならアドラーの研究者が仏教の教えを解説してみてください、ってなったら結構いいこと言えると思ったりしました。

まとめ。

 とにもかくにも前作必須です。前作を読んでからでないと本作は生きません。そして超訳なので癖があります。前作であっても、それはそれで解説本です。ですのでアドラーの主張に触れたいならおすすめしません。教養として触っておきたい人向けです。

 それでも物足りない・・・ってことならいよいよ原作(アドラーの著書)を読んだ方が良いと思うのですが、その前にシリーズをすっきりさせておきたい、みたいな人はこちらを読むのもありかなと思います。原作読んでから本シリーズに戻ってくる方が、アドラーそのものについての理解は深まりそうな気がしました。原作は僕もまだ読んでいないのですが。

 とりあえずそんなところ。優先順位はあまり高くしなくてよいかもしれません。あと、アドラー的な考え方にインスピレーションを感じつつも少し引っかかりを感じた人は、今度は仏教、多分インド仏教ではないかと思うのですが、日本のいわゆるよりももろにお釈迦様のやり取りの方に触れてみるのも良いかもしれないと思いました。禅問答でもないです、知らない人もいるかもしれないので。気になったら調べてみて。では。

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